大河ドラマ「龍馬伝」第19回 攘夷決行

今更ですが、龍馬伝の武市は多分史実武市とだいぶ乖離があるんだろうなってことで、今更ながら「武市半平太伝」も読み始めてみました。いくらか史実に近いかなぁと思いまして…。


まだ読み終わってないですが、史実に近いであろう武市半平太像を想像すると、南朋さんのイメージではないかなぁ、という感じ。俳優のイメージはさておくとしても、今年の大河では、武市本来のキレモノであるところが、描かれていないことはないけれど、主人公である龍馬との思想の違うというか、方法の違いが、「視野が狭いが故」的な描かれ方に見えてしまってるんだな〜というのが、残念ではありますね。大河は基本的に、主人公ageですから、相対的に周りが落とされてしまうというのは別に今に始まった描写ではないですが…。


ただ、龍馬伝Verの武市半平太は、武市像としては物足りないかもしれませんが、キャラクターとしてはやはりそれなりに魅力的であり、ずるいよな〜〜っと思いながら見てます。もやもやしたものが色々あっても、今回の最後の武市の最後のやりとりで、持っていかれてしまうとか、なんかそういうのがたまにあるんですよねぇ。




容堂からも突き放され、以蔵も勝先生のところへ、収二郎の裏切り(結果的に)、勝塾へ行った勤王党の3人は「武市先生のとこから出てよかったかもー」と、ここまでやるかーくらいの武市sage、龍馬>武市な脚本。


ぼっちな武市のところへやってくる龍馬が、攘夷のやり方を変えようといい、容堂は武市が思ってるような人じゃない、嫌われている、東洋を斬ったから、下士だから…と、たたみかけるようにズバズバ言い切ってしまう。


ここまで龍馬>武市か…となっていたところで、武市の「それは武市半平太という男を、人生を全て否定することだ」という言葉で、ハッとするんですよね。続けて言う、半平太の「殿様を疑ったら、それはもう侍ではない」という言葉に、見ている側もハッとさせられるわけです。武市がここまで頑なな理由や、龍馬の正論に対する違和感を感じる理由、色々なことがこの瞬間、クリアーに。


大阪でのセミナーで、南朋さんは自分の演じた武市が「時代の流れは気付いていたはず、でも、自分の信念を貫き通した」という主旨の事を言っていたけど、その台詞で、武市の背負っているものの重さを龍馬も見てる側も感じるわけです。


武市は、幼馴染み達、武市道場時代の門弟達を含む、自分を「先生」と呼ぶ土佐勤王党を背負っている。さらには「侍」としての立場・意識から容堂を否定出来ない。大森さんはセミナーで「枷」と表現なさってましたね(話の流れで、土佐勤王党の面々に対しての表現でしたが)。対して、脱藩した龍馬は色々なものを捨てなければならなかったが、自由になった部分もある。


かつて「下士」という枷にはめられてどうしようもなかった自分たちの世界をどうにかしなければ、という志は一緒であったはずで、龍馬と武市の皮肉な対比です。


龍馬と武市のこのやりとりは、武市は、気付いてはいたが恐らく打ち消そうとしてきたであろう現実と、龍馬は、分かっているつもりではあったはずの武市の立場のつらさを改めて突きつけられ、お互いにそれらと向き合うことになった、辛いシーンでありました。


そして、ここから(視聴してる側が感じる)立場が逆転していく。武市は、海軍に入ってもいいと龍馬に言ったけど、それは100%仮定の話ではあったけど、嘘でもなかったはず。道は違ったけど、龍馬個人を否定してきたわけじゃないというような武市の言葉は、あーこのひと、親友だけど、でも、どこまでもお兄ちゃんで、先生なんだなぁと、思ってしまった。


あの別れのシーンは、本当によかった。モヤモヤしたものが全て消えたわけじゃないけど、それでも一瞬そういうのを全て忘れてしまうくらいに、武市の強さと大きさが見えたシーンだと思いました。


史実を言い出すと、私レベルの知識でも突っ込みどころがいっぱいなのはわかるんだけど、それであっても今回のシーンは私はやはり評価したいと思うなぁ。大友さん風に言うなら「人間ドラマ」的な部分では文句無しだったと思う。俳優さんの本気の芝居は伝わってきました。


龍馬伝、なんだかんだと毎回結構目が離せない展開になってるなー。書きたいことを、毎回あれこれ放送終了後に思うんだけど、全部を書き切れていない…どうしたらいいんだw まぁぼちぼち、書いていきます。