マツ、ありがとう

私がJリーグを観るようになったきっかけは、2002年の日韓W杯。前のブログでも書いたし、このブログでも以前書いたのですが、はじめてサッカーをちゃんとみたのがフランスW杯、そのときは友達の勧めでアルゼンチン代表を主に観ていて、以降は日本代表の試合をたまにみるくらい。でも、日本のサッカーをちゃんと観て、Jリーグを観にいこう、というきっかけになったのは、2002年の日本代表チームがきっかけでした。


だから、2002年の代表チームは、今でも私の中で別格です。生まれて初めてまるごと愛したといって間違いない日本代表チーム。選手も、監督も、スタッフも。去年のW杯開幕の日には、ガンバサポの友達と集まって「六月の勝利の歌を忘れない」のDVD鑑賞会をし、代表が好きだ、という気持ちを再確認したりもしました。


2002年の代表の選手は、例え私が応援しているチーム以外の選手であったとしても、思い入れは違いました。その選手が所属しているチームとガンバが対戦するときは、やっかいな選手だ、いやな選手!なんでガンバ戦の時に点とるわけ!?と、さんざん思っていたとしても。


去年の11月、万博でまさにそう思っていたところでした。11月27日、マリノス戦。ガンバが、最後までマリノスのゴールをこじ開けることが出来なかったゲーム。そのディフェンスの中心にいたのが松田直樹。松田一人に止められた、といっても過言じゃないほどに阻まれて、結局試合は0-2で終了。試合後、悔しいな、でも、マツやっぱり良い選手やな、と友達と話していたところでした。


その後、松田はマリノスから戦力外通告(11月の試合のこともあって、「何で?!」といっているガンバサポも多かった)を受け、最終的にJFL松本山雅へ行くことを選びました。他サポの自分から観ても、緑色のユニフォームの松田は見慣れなかったけれど、松田が自分から選んだチームで、そこに松田がいるなら本当にJにあがるかもしれない、と思ったりもしていたところでした。それなのに。



急性心筋梗塞、心配停止、死去。



数日経った今でも、私はいまだにそれらの言葉がマツと結びつきません。多くの人が思っているでしょう。


何でだろう?何でマツだったんだろう?


もちろん、ほかの誰かであればよかったということではありません。でも、ほんとうになぜマツがこんなことになったのかがわからない。受け入れられないのです。ニュースで、献花台のもとに飾られた遺影を見ても、松田直樹という名前に「享年34歳」という言葉を添えられても、夢を見ているんじゃないのか、たちの悪い冗談なんじゃないかとしか思えない。何故だかわからないけど、そういうこととは180度違うような、まったく無縁の、本当に一番遠いところにいるような人だという印象がありました。


ニュースで2002年日韓W杯の映像が流れるたび、あのピッチに立っていた選手がもう今この世にいない、という現実が受け入れがたい。この間まで走り回っていたじゃないか。ガンバのボールを止めまくっていたじゃないか。憎たらしいディフェンダーだったじゃないか。


現実が受け入れられないのに涙が止まらない。マツがいなくなったことで、こんな大きな喪失感を味わうだなんて、こんな形で知りたくはなかった。他サポの私でさえこの状態だったのだから、マリノスのサポーター、山雅のサポーターの心情を考えると、つらくてたまらなくて、いたたまれない気持ちになってしまう。そうさせているのがマツだというのが、信じられない…



この数日、そんなことばかりを考えていました。正直、いまだに実感はなく、気持ちの整理はついていません。でも、そんな状態であっても、マツのエピソードを振り返るとき、「サッカーがすきだなぁ」という感情が一緒についてくるのです。日韓W杯をはじめとする代表戦、Jリーグ。オールスター、etc...


とにかく、松田直樹という選手は、サッカーを愛する熱い男だったなぁ。やんちゃじゃ済まないレベルのことをしでかしても、チームのサポーターの枠を超えて愛されたのは、彼のそういう部分が皆に伝わっていたからでしょう。


そして彼のその熱さは、私の中で、生まれて初めて熱狂した2002年日韓W杯の時の、自分の中の情熱とオーバーラップするのです。私の中の「サッカーが好きだなぁ」という気持ちが、初めて大きな衝動になった、そのスタート地点に居た一人なのです。この喪失感の大きさは、応援しているチームの選手、ファン、そういった括りではなく、もっと自分の中の根本的な部分の一部をもっていかれた、という気持ちがあるからなんだなぁと思っています。


「六月の勝利の歌を忘れない」のDVDには、あまりにも多くの感情と思い出がつまりすぎていて、しばらくは観ることが出来ないかもしれません。でも、私の中のサッカーに対する情熱の始まりはここでした。封印してしまっては勿体ないほどのエネルギーに満ち溢れています。だから、もう少し時間が経って、自分の気持ちが落ち着いたら、また観よう、と思っています。2014年のW杯前には、必ず。


忘れようと思っても忘れられるはずがありません。マツに何か言うとしたら、何だろうということを考えていたのですが、それはお別れの言葉ではなくて、やはり「ありがとう」という言葉だと思いました。


2002年の日韓W杯、そこにマツがいてくれてよかった。日本代表にいてくれてよかった。Jリーグにいてくれてよかった。
悔しい思い出も、楽しい思い出も、たくさん出来たよ。きっと今は、向こうでボールを蹴って、「なんだテメー」と言いながら、DFなのにゴリゴリ上がっていっているのでしょう。「モルゴン800」みたいな迷言も連発しているのでしょう。
あと数十年したら、みんなでまたサッカーをやってください。
私もそれが観られるといいな、と心から思います。
それまでは、ちょっと寂しいけれど。


マツ、ありがとう。


マツ、本当にありがとう。